20190501 誰でも女子プロレス

20190501
誰でも女子プロレス
「Showcase」
板橋グリーンホール

 

誰でも女子プロレス(ダレジョ)*1のはじめてのリングを使った大会「Showcase」を見てきました。


ダレジョの観戦は2回目(前回は2018/9/2の「EXTRA2」市ヶ谷を見ました)になります。市ヶ谷の時もそうでしたが、会場キャパに見合った集客っていうのが何故かあるもんで、今回は板橋グリーンホールがきっちり埋まる客入りでした。満員。
よく入っててちょっと驚きました。普段、我闘雲舞も見ていない私のような人間が見に行っているワケですから、不思議な集客にもなるっていうものですね。


構成的には前回見たときと大きな変化は無し(ドロップキック選手権とエキシビションマッチ)でしたが、リングでの試合ということもあり、コーナーを使う攻防なんかがありました。多少のロープワーク*2はありましたが、試合中はコーナーへの叩きつけの攻防が中心でした。相手の首を掴んでのコントロールなんかは練習しているんでしょうね。*3


ドロップキック選手権は審査員が意外な豪華メンツ*4エキシビションは時間無制限で7試合*5で満足感がありました。


高度な攻防など一切無いし、ドロップキック選手権をやってるのにドロップキックもほぼ出ないくらい、できることを必死にやるっていうエキシビションなので普段見ているプロレスとは別種のものではあるという感じですが、見れちゃうんですよね。これはこれで面白い、UNO*6を見ている感じの面白さです。


ということで、私の苦手な元川さんのここまでの実験的な試みについて思うところをまとめてみたいと思います。
ちなみに私は元川さんとは一切コミュニケーションをとる立場にいないので、ここからの考察は外野から見た印象によるものです。
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「誰でも女子プロレス」は、元川(敬称略、以下同)が考えるプロレスの新しいかたち、我闘姑娘*7で実現できなかった「一般参加型のプロレス」を、また作ろうとしているんじゃないかなと思いました。


今(2019年現在)はアマチュアプロレス(草プロレス、学生プロレスを含む)の興業が一般に開放される*8ようになり、プロじゃないレスラーのプロレスというものに触れられる機会が増えていると思います。
とはいえ、これは基本的には大学生から一般社会人という中でも意外と狭い層の人間しかプレイヤーにはなれない。*9実際には40過ぎてもやってる人も(昔から)いますが、それも学生プロレスなりなんなりを経由したOBであるからだと思います。
ちなみに、この流れはダレジョの目指している(と思われる)方向性とは真逆の思想になると思います。*10


元川がダレジョが目指している(と思われる)方向性とは、アマチュアスポーツとしてのプロレスではないだろうか。
元川本人ができる範囲という限定をつける意味で*11女子に限定はしているものの、年齢や経歴については限定をしていない、小学生から40代のプロレス未経験者が参加している、これがアマチュアスポーツとしてのプロレスということになると思います。


元川の(考えていると思われる)思想として、シンプルなプロレスなら誰でも参加することが出来るプロレスになり得るというところがあると思われます。
高度になり続けているプロレスの尖った部分を全てそぎ落としてもプロレスとして成り立たせることが可能だという考えがあり、それのプロトタイプが我闘姑娘のプロレス体操で、それはプロレスの動きを取り入れた体操であったため、「プロレスとしてのサムシング」ではなく、「プロレスのようなサムシング」になってしまった。
「プロレス」という言葉へ持つ意識のハードルを下げるために恐らくデコレーションしていった結果なんだと思いますが、行き着いた先には、そんなつもりじゃなかった人達とその気になった人たちに別れてしまったんじゃないかと思います、その辺の事情は全く知りませんが。
そこからプロレスに軸を戻そうとした結果、その気になった人たちの発表会であるところのアイスリボン・ホットリボンだったんじゃないかと思います。元川はプロレス以外の何かがしたかったわけじゃなくて、プロレスに繋がる何かがしたかったっていうことで、だからその気になった人には試合をさせてプロレスに送り込んでいった、その最高傑作がりほちゃん*12になるでしょう。


活動の軸をプロレスに振っていくことになった結果、元川自身が我闘姑娘を離れてアイスリボンに移籍することになって、新しいプロレスラーへの道をまた構築していくことになりましたが、そこでプロレス教室を開いたり、年少者をプロレスラーとしてデビューさせたり、映画とのタイアップで女優(の卵?)をプロレスデビューさせる等、我闘姑娘時代のノウハウが生きることになったと思われます。


元川アイスリボンの終わりは、サークル活動としてのアイスリボンから、プロレス団体としてのアイスリボンになっていく過程で起こったように思います、本人がどう思ってたかは知りませんが、いつの頃からか「あれ?思ってたんと違うな?」という感じ、「サークルのリーダー」から、「会社(団体)組織の長」になっていくことで自分がやりたかったことと何かズレがあるなとなっていたのではないだろうか。


結局、元川はアイスリボンを離れ、タイにプロレス団体を興すことになる*13、タイにはプロレスの文化が無いので、ここで新しい未経験者と対峙することになるわけですね。タイでプロレス団体を作ってタイ人にコーチして日本でも活動をはじめて、プロレスの布教活動の方向性に迷っていたのか、ここでアイドル活動を始めたりするわけですが、なんだかんだでタイでの活動もアイドル活動も今は(実質)休止したというタイミングで発生したムーブメントがダレジョです。*14


本人とは話したこともないので全部憶測になりますが、彼女の発想が行き着いた先が「誰にでもできるように整備されたプロレス」、「アマチュアスポーツとしてのプロレス(≠アマチュアプロレス)」で、例えば中学校の部活で「バスケをやってみよう」、「テニスをやってみよう」というノリではじめることができるプロレスなんだろうなという風に感じました、他のスポーツと同様、そこからプロを目指す人もいるだろうし、プロレスをはじめるキッカケをプロレスという形を変えることなく作りたいのかなという風に思いました、「プロレス体操」はそこ*15にはちょっと遠すぎた。


プロレスにはアマチュアがない*16っていうところへのアプローチを彼女はいつも考えているような気がします、もっと気軽にはじめられるものにならないと先がない、その中から選ばれた人がプロになれば良いみたいな感覚なのかなと思います、ここで元川さんの功罪があるとすると、選ばれていない人、やる気とかセンス、どちらかしかない人もデビューさせてしまう*17ことかあることでしょうか。


最後にダレジョでの発明ではないですが、とにかく練習の成果を見せる場所を作るというところが元川のすごいところで、結果的にその発表会を興行として成り立つところ*18まで持っていってしまう*19というところにいつも感心させられています。

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私は苦手な元川さんですが、やっていることや、育成してきた選手については、非常に興味もありますし、また新しいことが思いついたら見せてもらいたいなと思っています。嫌い嫌いも好きのうちっていうやつなのかな……。

*1:個人的には、プロレス団体「我闘雲舞」を率いるさくらえみ主催のアマチュア女子プロレスサークルのようなものと理解しています

*2:ロープワーク自体は試合前の公開練習で結構やってました

*3:市ヶ谷にはロープもコーナーも無いので、HEAT UP道場の練習でやっているんでしょう

*4:基本的には昼の興行に出ていた人だと思いますが

*5:解説?で言っていたのは、ダレジョの平均試合時間は3分くらいだそうです

*6:ルールもシンプルで手札の種類も数も限られているけど、展開次第では逆転があったり、自分のミス(UNOコールを忘れる)で負けることがあるなど、感覚的に近いなと思いました、現代のプロレスはトレーディングカードバトルです、それはそれで面白いです

*7:wikipediaによると)2002~2007年まで存在した女子プロレス団体、元川が代表

*8:元から学園祭興行や外部のお祭り興行的なものは開放されてはいましたが、安価で借りれる会場が増えたことにより個人主催興行や、学外での学生プロレス団体の興行が増えた

*9:厳密に言うと草プロレスに関してはその縛りは無いが

*10:ただこれはプロ以外の選択肢という意味では全くの意図から外れているものではないとは思います:追記

*11:男子にも教えることはできると思いますが参加者に男子を含めないのは「女子の参加に制限を付けることをしたくない」というところと、ある程度以上になると自分が相手になっての試合をすることができないからではないかと想定しています、(完成品に)責任が持てない

*12:アイスリボン-我闘雲舞-2019/7からフリーの里歩

*13:我闘雲舞

*14:この辺の時代考証はあんまり詳しくないですけど、大きく外れていなそうなのであんまりちゃんと調べません

*15:プロレス

*16:アマレスのプロが無ければ、プロレスのアマも無い

*17:どちらも無いと選ばれていないと思います

*18:収支は知りませんし、本当に成り立っているのかは分かりませんが……

*19:成立しているという意味では、今回のグリーンホール大会は完全に成立していたと思います(1000円/500円の入場料でしたが