20141208 木村浩一郎追悼興行

20141208
木村浩一郎追悼興行
新木場1stリング

序盤の試合は下北で月イチペースでやってた頃から、
Atomを経由してジオポリス(当時/現在のGロッソ)でやっていた頃の雰囲気でした。
その頃が一番楽しかったんですけど、それはそれとして。

第1試合はDDTの新人時代にお世話になった選手と、
他所の行ってからあたってた選手、Hi69はどの辺でだろ?ららぽ?

第2試合はイーグル提供試合で、
木村さんが最後に所属っていうか、定期的に出ていた団体とのこと。
その辺のことはよく知らない。吉田が老けていて、近藤は若作りで、
ジューディストは本物だって!もう一人は地元の人かな。
ポヨンポヨンのロープでよく吉田はロープ芸してたな。

第3のバトルロイアルでの佐野はあの頃のままで歓声は10倍になってた。
佐野に飛ぶのは基本罵声なんだけど。とはいえ規模感だよ。
ずっと昔から言ってるんだけど、佐野は才能あるからそのうち売れると思ってる。
本人が売れるのかどうかは知らないけど。
佐野魂両国大会は何もバッティングしなければいきます。

バトルロイアルでは蛇界転生が会場に流れ、
誰一人マラカスを持っていないドアウェイの状況(状況だけね)で
PSJが蛇ダーさんを従えて入場してきた。
澤田さん、いつも復帰する時は体作ってくるからかっこいい。
かなりぐっとくる場面ではあったけど、我慢出来た。

なんだかんだでゴニョゴニョあって旧勇作が勝ったんだっけかな。
中野で有名な中野の有名な双子を一度に見れるチャンスはなかなか無い。

その後UWFをやって、松井とか初めて見るかもしれないけど、
木村さんて格闘で名を挙げた人なのでこれもまた味わい深いけど、
柴田がベイダー化してて無茶苦茶だった。松井は3分でエネルギー切れてた。
竹田くんは膝がサイボーグだからこういうのはね。

ここでわざわざ無いといってたリング調整のための休憩が。
板が割れてたみたいで、まあ大事がなくてよかった、ロープぽよぽよだし。

そしてメインはあの頃の6人によるタッグマッチ。
NOSAWA選手は出たり入ったりで長い期間いたのは見てないけど、
高木、三上、野沢のトリオは初だとか。長生きするもんだよ。
相手には佐々木(宇宙パワー2号)、GENTARO、橋本友くん。
まあ当時いた客もそこそこ来てんでしょう、盛り上がってました。一部声の大きい人が。
NOSAWAがメキシコ人なのでダチョウ倶楽部のくだりがぐだり。
試合自体は若干懐かしい動きを混ぜつつも今の感じ。
みんな40だからね。
怪力おじさんがGENちゃんにSHBを決めて終了。

最後出場選手が全員上がって、高木が挨拶。
そして吉田が3月に高崎で追悼興行をやると。
木村さんが呼びたかった人を集めたいって。
みんなが挨拶してる時に澤田さんが天井を見上げて呪文をかけてた。
多分木村さんには届いてるけど、そういうのやんないんだよ!って
照れてるかもしれないね。

最後三上が挨拶して泣いて、〆て、みんな撤収してる時に、
高木が三上を連れて4方向に挨拶した。
その流れで南を正面にしてファンと木村さんの集合写真を撮りたいと。
ドセンに座ってたので宇宙のポーズで顔を隠しました。
そこでなんか泣いちゃったな。

はじまる前は新木場なのにリングサイド1列だし、
全然集まらなかったら寂しいなと思ったけど、結局椅子を追加して
さらには立ち見も出て盛況で木村さんを送れたんじゃないかな。

最後に良い思い出になりました。

以下は亡くなった時に書いた木村さんとの個人的な思い出です。
ちょっと修正しました。
-----
木村さんのこと
-----
はじめに木村さんのことを知ったのは
格闘3兄弟の頃でしょうか、W★INGは地方在住の学生にとって
まったくのお伽話で週プロの中の存在でした。

動いている木村さんを見たのはRINGSに出てた頃。
WOWOWが録画ができる友達に頼んで、
ビデオに撮ってもらって見ていました。
ツーショルダーでロングスパッツのあの木村浩一郎です。

それから季節は巡ってグレイシーと試合したのも、
例の事件も格通や週プロの中の出来事でした。

その後東京に出てきて、また今度は会場で
プロレスを見るようになって少し経った頃、
なんだかんだでDDTを見るようになりました。

ちょうどその頃は宇宙パワーだったり木村さんだったりしてる頃で、
いろんな選手をアームバーで破壊してる時期でした。

木村さんの群馬の実家に篠さんとサンダーさんが迎えに行ったりしてた頃で、
心の名言であるところの「出たじゃねぇか、内部から」の時代です。
最初期のDDTは知らないです。でも当時からは熱心に見に行っていました。

そして何年か経って自分が転職をして、
それまでとは全くの別業界で働き始めた頃に
「ちょっとした撮影の仕事をプロレスラーにお願いできないか」
という話になりました。

当時、選手を借りるために連絡しやすい団体はあるか?
と聞かれて、DDTに連絡をしたような気がします。
結果、お願いして選手を借りることになりました。

実際に参加していただいた選手が表に出るような仕事ではなかったですし、
大したギャラもお支払いできなかったので、本当に若手で良かったし、
まあ時間の合う人に来ていただければって感じでした。

何度かお願いして撮影を続けた中に、木村さんがメンバーに入っていた時がありました。
正直その時は「何も木村さんが来なくても…」とは思いました。

当時竹塚にあったバトルスフィアっていう会場に何人かの選手に来てもらって、
自分が作ったリストに沿ってプロレス技を撮影していきました。

順に技を撮影していく中で、突然木村さんが自分に向かって、
「俺のこと下手だと思ってただろ?意外となんでも出来るんだよ」
と笑いながら話しかけてきました。

確かに元々格闘技の人だし、そんなに器用なイメージもなかったから、
返答に困ってアタフタしてたら、木村さんはそのまま笑ってた。

木村さんはリング上の大概の技をソツなくこなしていました。

その後も会場ですれ違っても、そんなに話をするような間柄でもなかったし、
だいたいは宇宙パワーだったし、女子格の会場だと木村さん運営だったから
あんまり話をした覚えもなかったんだけど、たまに話する機会があると、
ニヤっと笑って「こんなとこまで来てんのかよ」みたいなことを
言われてたような気がします。

そんなこんながあって、あの時に撮影したデータは
結局ほぼ使われることはなかったんですが、
転職して初めての現場でなんとかやり切ったし、
今も同じ業界で仕事してるし、あの時に協力してもらった
選手の皆さんには本当に感謝しています。

木村さんは一般のファンには怖さをなくすことなく接していたけど、
DDTステーキで三上と並んで厨房に立っている姿などを見るにつけ、
本当はいい人なんだろうな、怖いけどって思っていました。

そんな数少ない思い出ではありますが、
木村さんありがとうございました。
お疲れ様でした。